3月11日 新橋で東日本大震災を体験した時の記憶を残しておく

どうも段田です。

今日は3月11日 東日本大震災があった日です。
もう6年が経ちます。

私自身、当時は新橋で仕事をしていて、大地震を体験しました。

今年も黙祷したのですが、その際に、頭の中で地震が発生した時の頃の様子が思い浮かんできました。
あの時のことはまだ自分の頭のなかに記憶として残っていて、もちろん忘れるつもりはないのですが、
やはり記憶としては曖昧になりつつ部分もありますので、今のうちに残しておこうという気持ちになったので、ここに書こうと思います。

私が当時体験したことをただただ書き残す日記にしているので、いつものブログとはちょっと違います。

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目次

地震発生時

当時私は前職に所属(合併前ですね)していて、業務委託で某通信会社に出向していました。
勤務地は新橋で高層ビル地域内のビル30階付近のフロアで仕事をしていました。

当時、いつも通り仕事をしていて、プロジェクトも佳境になりつつある頃で、集中して仕事をしていました。

そんななか体感で体が揺れる感覚がしました。

「あ、地震だな」

最初はそんな感じでした。
だいたい震度2,3ぐらい?と思いつつ、周りを見渡すとプロジェクトメンバーと目があい、「地震ですね」と言葉をかわしました。

しかし、急に地震の勢いが強まりました。

 

「うわあ」「キャアアア」

 

フロア内に悲鳴が響き渡ります。

私も驚きの声をあげました。
それぐらいの地震でした。
縦揺れ?横揺れ?今書いている現状だとどっちだったか記憶が曖昧ですが、
自分自身が立つことも椅子に座っていることを保つことも難しかったことは鮮明に覚えています。
机にしがみついて「どうしよう、これ東京に大地震がきたのか」とやっと自分の中で
大地震が発生したと理解した瞬間でした。

 

この時瞬時に思い浮かんだのは奥さん、両親の安否、自社メンバーの安否、そして、自分の家は大丈夫かでした。
そんなことを思っている時にふと窓に目をやって見えてきたのは

 

地震の揺れで横にきしむ2つのビルでした。

 

まるでおもちゃのように左右に揺れるビル。もう少し力が加わったら折れてしまいそうに見えました。

 

「ああ、これもしかしたらビル倒壊してしまうな。」

 

今となってはビルに耐震対策が取られていることがわかっているので、安心はできるのですが、
当時はそういうこともわかっていなかったため、この時は「死」を覚悟しました。
死を覚悟したと同時に、少しでも生きる可能性をと思い、机の下に潜り込みました。
この時、小学校の頃の避難訓練が頭のなかに蘇り、0.1%でも生きる可能性が上がるのであればと思い、机の中に潜りました。

 

揺れがますます強まり、フロア内も怒号と悲鳴、そしてビルの揺れる音、ビルの緊急アラーム音、地鳴りが響く中、
「ごめん、俺死んだかも」となかば諦めた感じで、改めて奥さん、両親のことを思い浮かべます。
揺れる時間はすごく長く感じます。

 

揺れている間ずっと祈っていました。
今までの人生で神様に祈るということは軽い感じではやっていましたが、本気で神様に祈るということはこれが初めてです。
気付いたら涙を流していました。

 

それから少し経って、地震の揺れが収まってくるのがわかりました。

「頼む、このまま終わってくれ」 ずっと祈っていました。
そして、そこからどのくらい経ったのか感覚は全然わかりませんが、感覚で地震が止まったことを察知しました。

机の下から外に出ます。
軽く頬をつねってこれが夢でないことを確認します。
周りを見渡すと真っ暗になったフロアに窓から太陽光が差し込んでいます。
電気が止まったことを認識します。
そして、暫くして電気が通り始めたので、パソコンのチェックをし、Yahooで地震速報の情報を追っていました。
そして、ネットニュースからやはり都内で大地震が起きたということは間違いないことを確認しました。

この後、電話をかけようとしたが、もちろん繋がりません。
回線がパンクしている様子でした。

外が気になったので、窓から下を覗くと近くのビルから人が外に飛び出し、一箇所に集まっています。
自分たちも避難した方がいいのか・・・・・と思いつつ、お台場方面に目をやると煙が上がっていました。
どこか地震で火事になったようです。

 

これからもっと大変になるのかな・・・この時点で二次災害をすごく気にするようになりました。

地震発生後

とにかく奥さんと両親に連絡をと思い、ネット回線が生きているのは確認できていたので、Eメールで奥さんと両親に連絡。
両親とはそこでコンタクトがとれたので、問題なかったのですが、奥さんとは連絡が取れず。

返信がないので、徐々に不安が増してきます。
なので、なぜかmixiで繋がっていた義母にmixiで連絡を取り合い、こちらの無事と奥さんへの連絡をお願いすることに。

地震発生から30分。
先程の地震が気になりすぎて仕事に戻れなかった。
それは私だけではなく、プロジェクトメンバー全員、というよりもフロア内もそんな状態だった。

程なくして、リーダーから今日の業務はこの時点で止めること、帰宅希望者は帰宅してもいいし、
残りたいものはビル内にいてもいいことが伝えられる。

とりあえずはビル内にとどまり、奥さんの連絡を待つことに。

そして、社内のテレビで宮城県の津波のニュースが流れる。
津波により町が壊される姿を見て胸が締め付けられる思いだった。

つらくなり見るのをやめて、Twitter、スカイプ使って自社に連絡。
私は家が都内ではなく、交通も電車が全て死んでいるため、話し合って自社で一夜過ごすことにした。
とは言うものの、現場は新橋で自社は台東区の入谷、距離があるため、社長が車で迎えに来てくれることに。
ただし、状況が状況なので時間が遅くなると思われるので、電車が復活したら、電車で向かうことになりました。

この後に奥さんからメッセージがきて無事なことが確認。
お互い泊まる場所など確保はできそうなので、当日帰れるかはわからないけども、自宅に戻ることを確認。

一番気がかりだった身内の安否が確認できたことで、ほっと一安心。

会社に戻るためここでビルの外に出ようと思ったのですが、エレベーターは地震の影響で使えなくなっていたので、
非常階段から1階に降りました。

階段で降りている時に地震の影響で壁が剥がれている部分を見かけて、相当でかい地震だったのだなと改めて感じました。

ビルから出ると既に夕方で日も落ちていました。

会社に戻るまで

ビルから出て、新橋駅に向かうとやはりJRは止まっていて、地下鉄も軒並み止まっていました。
駅員に聞いても復旧の目処は不明。

そうだよなあと思い、復旧するのを待つために漫画喫茶やファストフード店などを回るがどこも満杯もしくは閉店だった。
みんな考えるの一緒でした。

これ会社に戻れなかった場合、野宿になりそうだなあ・・・

今までの人生経験で路上で寝たことはあったので、最悪どこか公園で寝るかなと思いつつ、
更にお店を探す。
だけどもやはり無理だった。大体1時間ぐらい回ったけどもダメだった。
ビデオボックスまでも満杯であるから結構絶望的だった。

駅前に戻るとテレビで見たことあるニュースキャスターがニュースを読み上げている。
その周りを人が囲んでいたり、疲れ切ってしゃがみこんでいる人がいたりといるだけで疲れてしまいそうな風景だった。

とりあえず駅前からは離れて、道路に座り込んでスマホで情報を調べる。
すると避難先で新橋駅近くでホテルがロビーを開放していると書き込みがあったので、急いで向かう。

ホテルに向かうとそこは既に人でごった返していた。
それでもロビーに座るスペースがあったので、とりあえず電車の復旧と社長からの連絡があるまで、ここで待つことにしました。

目の前にはテレビがあり、映っていたのは千葉県の工場で爆発があり、炎上している映像、
津波によって壊滅した東北各県の情報。
それを見ていると、ロビーでため息とすすり泣きが聞こえてくる。
なんだかいるだけで辛い。

そんななか2時間ぐらいいて、その間連絡もなく、ネットとテレビで情報収集。
液状化現象や倒壊情報、交通も壊滅、そんな情報が一気に流れてきて、そしてこの眼の前の状況を見て、
これから東京は大丈夫なのか、仕事どうなるんだ、色々と不安が自分の中で出てくる。

ほんとうこれからどうなるんだろ・・・

モヤモヤした気持ちがずっと自分の中にあり、自宅の心配も出てきました。
マンション内で火災が起きて、自宅にも広がったりしていないかと色々と心配になってきました。

徐々にロビーに避難してくる人も増え始めて、幼い子供と祖母らしい人が座ることできず場所を探していたので、
場所を譲って、一旦ホテルを出ることにしました。

そして、この頃に社長から連絡で、渋滞がひどくこちらに迎えにこれないので、
できれば自力で会社に向かうか、休める所があればそこで休んで自宅まで帰るようにとのこと。

そりゃそうだよなあと思い、とりあえず駅前に移動し、電車が動くまで待機することに。

到着後、スマホで地震情報をチェック。
私はこの頃常日頃モバイルバッテリーとコンセント類は持ち歩いていて、スマホが使えなくなるという事態は避けることができました。

書いている今も改めて思うのは、常日頃バッテリー類は持ち運んでいたほうが良いなあということ。
緊急事態に対応できるのはでかいです。

そんななか、駅員からしばらくしたら銀座線が動くアナウンス。
そのアナウンスに歓喜。これで会社まで行ける。

しかし、ここからがある意味地獄だった。
交通復旧情報が行き渡ったのか、新橋駅内は人でごった返し改札から外まで行列ができる。

なかなか動かない列に怒号が響いたり、小競り合いがあったり・・・・
私も強く押されたり、足を蹴られたり、結構散々なことになっていましたが、
それでも30分後ぐらい?には列が動き出し、なんとか電車にのることができ、上野に着きました。
ここから会社の入谷まで徒歩で向かい、なんとか会社に着くことができました。

着いたころにはもう夜も遅い時間でした・・・

 

会社に戻るとやはり何名か帰宅難民になっていて、会社で一泊することになっていました。
コンビニでご飯を買ってきて、各々テレビでニュースを確認したり、ネットで情報集めたり。

余震も続き、自分も含めてかなり疲弊していて、
睡眠を取りたくてもあまり取れない状態でした。
そんな中、長野でも大地震が発生したニュースが流れて、みんな少しパニックになったりで、
更に不安になりつつも眠気は来たのでそのまま就寝。

なんでもない日のはずでしたが、長い長い1日でした・・・

家に戻るまで

朝6時ぐらいに目が覚めて、電車の運行情報をみると自宅に帰るための電車が動いている情報をみたので、
他に寝ているメンバーに書きおきをして一路自宅に戻ることにしました。

で、電車に乗り込んだのですが、途中の駅で緊急停車。

駅のアナウンスでこの先には進めないため、ここで終電になりますと告げられる。

これに切れた車内にいたおばちゃんが駅員に食って掛かる。
もう喧嘩腰だ。これに対して駅員も喧嘩腰で突き返す。
お互いピリピリしていて、見ていて辛かった。

ここからが大変だった。
途中下車した駅には乗り換えする路線はない。
しかも乗ってきた路線も路線全体で運行を止めてしまったため、会社に戻ることも難しくなってしまった。

これには困った。

悩んだ挙句、徒歩で自宅方面に向かうことに。
線路沿いに伝って、別路線の駅までいければという思いで歩いていたが、さすがに心は折れそうだった。

インフラ死ぬと大変なんだなあと歩きながら痛感。

それでも途中で空車のタクシーを見つけて捕まえる。
最寄りの駅まで頼むとお願いしてなんとか最寄り駅まで行くことに成功。
ちなみにこのタクシーで3万近くかかった。
しょうがない。本当帰りたかった・・・・

最寄り駅から歩いてようやく自宅のマンションに到着。
マンション全体で火災があったり、倒壊はなさそうで一安心。
一部壁が崩れたぐらいでどこも影響はなく、耐震性高いマンションだと分かって安心した。

恐る恐る家に入った。

「ただいま」

誰もいなかったけども口に出した言葉。

家の中の被害を確認したら、棚の上に積んでいた書類がちらばっていたのと、
洗面台においてあったコップが割れただけで大きな被害はなかった。
被害がほとんどなくて胸をなでおろしました。

こうして地震発生から約1日後には無事家に帰れました。

帰ってきたんだな、帰ってこれたんだな
安心したのか今までの疲れがどっと押し寄せて、直ぐに横になりました。

そして、家の布団で寝ることがこんなにも安心できるのかと思いながら、まぶたを閉じました。

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